貝月山

2002年の記録

12月15日(日)晴れ 単独
天気予報によると今日は晴れ。しかし先週半ばに降った雪が心配である。
先週登った美濃の貝月山(1234m)の「長者の里」ルートとする。
先週の貝月山の記録も参照。
県道32号(春日揖斐川線)を西へ。

左(青)へ行くと古屋へ。この道がさざれ石公園へ行き、伊吹山の登山口へ行く。ちなみに古屋からさらに南に行くと、関ヶ原のバイパス辺りに出る。

長者の里へは直進(赤)へ。美束集落へ向かう。
長者の里の入り口から中へ車を進める。

森の文化博物館が左にある。

つきあたりにキャンプ広場、トイレ、登山届けがある。

キャンプ場に駐車。トイレを借り、登山届けをだし、奥のバンガロー村を抜けて、沢を渡りいよいよ登山開始。9時30分。

積雪は10cmぐらい。今日は私が一番乗りのようだ。踏み跡はあるが昨日のもののようである。
数分で分岐点。右(赤)の方に「猿後家」伝説の案内板が見える。分岐の岩が祠のある長者岩である。

私は踏み跡に従い左(緑)に行ってしまったのだ。ロープもある。

少し登ると、「沙羅双樹群生地」の案内が2つある。

踏み跡が続いているが、その方も迷ったらしい。あちこちに踏み跡がある。
西へ向かうはずだからと方位磁針を出して確認してみる。尾根の方へ上がり西へ進むと踏み跡は終わっている。代わりに獣の足跡がいくつかある。

次に、南の植林地帯へ行ってみたが、低木の広葉樹林に出た辺りで不明となった。

このまちがった方向へ行ったがため10時45分頃までうろうろした。とうとうあきらめて、池田山にでもしようかと下ってきたとき、先ほどの「猿後家」で直進(赤)する踏み跡があるではないか。
ありがたい。私より後から来た方が正しいルートを歩いていたのだ。

←左の写真は、「猿後家」伝説案内板の裏

やはり初めての山は登山道が雪で覆われてほとんど分からない。しかもこのルートは、目印のテープも少ない。または雪に埋もれている。
「山犬の岩穴」という岩が左手にある。

沢に沿って進むが、沢を何度も渡り返す。かなり危ないところもある。雪で岩が見づらい。
ご夫婦で登られている方に追いついた。この方たちのおっしゃるには途中で引き返した方もいるとのこと。(この方も私の後に続いて間違った方に行ってしまい、正しいルートにもどってきたそうだ)。

また、さらに先にご夫婦の方がラッセルしながら登ってみえるとのこと。

いったん、沢から離れ、急登を3本のロープで登る。
3本のロープを登ったら、分岐点。右へ行くこと。

この後、沢の10mほど上を平行に歩いていく。道幅が狭いので落ちないように注意する。
「タンネの会」の標識で隣の沢へ移る。積雪は20cmほどか。沢を渡ると雪が深くなる。

ここにも「沙羅双樹群生地」の案内板がある。
忍者の穴と三段の滝に出る。
長いつららができている。

ご一緒に来たご夫婦は、「12時だからここで引き返す。」「おそらく尾根は80cmぐらいの積雪だろう」とのこと。

私は、1時まで進んでみることにする。
「タンネの会」の案内が再び現れる。この辺りで先頭をラッセルしていたご夫婦があきらめてもどってみえた。

私はここで昼食とする。おにぎりと豚汁を食べ、栄養ドリンクを飲む。
しばらく行って空が大きく見える頃、踏み跡が終わった。あの方たちはここで引き返したのだ。

私は、しばらく歩を進めたが、積雪は60cm以上ある。1時になったので引き返すことにする。

帰りは沢渡りに注意して下った。2時10分にキャンプ場に着いた。

追記 2003年5月4日にリベンジしました。

先に下りられたはずのご夫婦が登山届けの所で休憩してみえた。帰りにもりもり村へ行くとのこと。

さて、まだ早いので、大規模林道を通り、久瀬村へ行ってみる。峠は雪で滑りやすい。

途中にあった鍋倉山への登山道入り口のカーブの路肩に四輪駆動の車があった。
マジックで「行けない」と書いてあったのだが…。

追記 2003年3月16日ここより少し山上より入山し、鍋倉山に登りました。
気を付けながら久瀬村のスキー場の下に出る。
こちらの道路はきれいに除雪されていた。

しかし、坂内村のスキー場への道路は通行止めとなっていた。

白龍の湯はいっぱいであった。

今日の風呂は、池田町の「グリーンセラ 池田温泉」である。

ぬるぬるした温泉で気持ちがいい。露天風呂・サウナもある。
大人500円。いつきても満員である。

シャンプー・リンス・ボディソープがある。ロッカーは無料である。
この前で露店が多数あり、にぎわっていた。

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