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2024年の記録 | |
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7月4日(木)晴れ | |
6月21日に神島の尾根沿いから行こうと思ったのだが、途中で道が途切れてしまい、時間切れで撤退しているので、今日、リベンジに出かけた。 | |
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神島の港に着く。11:25 正面の山が間近に見える。アンテナが見える。 |
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鳥羽港に置いてあったパンフレットにあった時計台だ。先回はパンフレットを見てなかったので全く気づかなかった。 | |
左の階段を上がる。(先回も同じ) | |
今日は、神社の214段の階段を登りたかったので左へ行く。 看板は正面の石段を行くようにも見えるが、赤矢印です。(私がそうでした。) |
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すると鳥居があり、ここから階段が始まる。 麓からここへはいくつかの道があるようだ。 |
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214段の階段を上がった所に八代神社があった。地元の子ども達が作った無料のおみくじがあった。 地元の三人の方が修復作業中であった。 尾根上の道を尋ねると、地元の人も通っていないので薮だろうとのこと。 |
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しかし、再度尾根上の道があるのではないかと確かめるために水道施設まで上がってみたが、やはり尾根上の道はなかった。 | |
そこで神社までもどってハイキングコースを行く。 | |
先回引き返した辺りだ。 | |
するとすぐ先に灯台への門があり、右写真の様な道の先に灯台が建っていた。 | |
灯台の下には三島由紀夫の作品「潮騒」の解説があった。青春の恋…。 | |
灯台の日陰で大休止。今日は鳥羽港では風が強かったのに、ここでは殆どなかったので、暑かった。 監的哨の方へ行く。 |
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するとずっと写真の様なコンクリートの石段が続いていた。木陰だが、蒸し暑かった。 | |
ピークの少し手前に案内板があるが、そこから右へ行く。 ピンクのリボンがあった。ここから山道かと思ったら。 |
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左写真の様にコンクリートの石段が続いていた。 | |
パラボラアンテナの施設があった。そのための石段だろう。このフェンスの右手前に上がる道がありそこが山頂であった。 | |
麓から見えていた物だと思う。 | |
山頂風景である。ちなみに尾根上の道の方に入らないように小枝で通せんぼがしてあった。 行ってみようかと思ったが、監的哨と電子基準点を見たかったのでハイキングコースで行くことにした。 |
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2等三角点、点名「神島」である。パンフレットには「灯明山」と書かれていた。眺めはない。 | |
桃取山やその他の山で見かけたプレートと同じ方と山ネズミさんのもあった。 | |
先ほどの分岐に戻り少し上がった所からは木製階段の長い下りであった。 東屋が見えてきた。その先に監的哨がある。ここで大休止。おにぎりを1個頬張った。 白い小さい虫が這いずっていた。初めて見る虫だった。 初め埃かと思った。 |
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時々山歩きに同行してくれるMさん(この方は元理科教師なのに文学や音楽<特にラフマニノフ>、美術などに詳しい)に電話すると、三島由紀夫の「潮騒」のことをご存知だった。 屋上まで上がることが出来た。 ここ以後もずっと木製階段の下りが続いた。 |
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カルスト地形である。海岸線が近い。 | |
神島小学校・中学校である。振り返って撮しました。山頂のアンテナが見える。 | |
電子基準点 点名「鳥羽2(付)」 初めて見た。案内板は雑草に覆われていて見えにくかったが、なんと立派なんだろう。 |
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海岸端を歩いて来ると右折すると鏡石に向かう。 ここからまたしばらくは登りが続く。フ〜。 |
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鏡石の前を通りしばらく登ると神島中学校の跡地かな?門の跡があったが、以前はここにあったのだろうか? | |
中学校の門の跡地のすぐ先に舗装路があり、その先にY字分岐があったが私は右へ行き、桂光院の前を取って港に着いた。14:15。 | |
1周に約2時間50分かかった。(途中八代神社で尾根の話をしていたし、尾根上の水道施設に寄っていたので) それにしてもパンフレットの2時間はちょっと早いのでは…。休憩時間は含めてないのかな? 15:50発の鳥羽港行きに乗って帰宅した。 |
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神島港の自販機の前のベンチに座っておにぎりを1個頬張っていると、大阪・神戸からみえた80代の男性4名のお仲間の方達が来て、しばらく談笑した。この中のお一人は以前ご夫婦でこの島を一周したことがあるとのことだった。そして、バターレーズンパン1個と缶ビールを手渡された。(私は飲めないのですと断ったのだが…そうだ、持ち帰ってMさんに渡そう。)また、通りかかった下校中の男の子が挨拶してくれたのでこの子にもパンをあげていた。 なんか、私の普段の生活とは全く違う出来事だった。 |
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