点名「老蘇」三等三角点373.4m「山本」三等三角点324.8m

2021年の記録

10月24日(日)晴れ
今日は10月11日に登った繖山の南東にある箕作山の二つの三角点に登った。箕作山には三角点はない。

周回するつもりなので右写真の所から入山できそうだったので停めさせていただいて、フェンスを開けて入る。

地図上の破線の道だ。
人は住んでいないようであった。

奥に先人のピンクのリボンが見えたので沢を渡る。
すぐに二股になる。

迷ったが左へ進む。すぐに道はなくなる。
  安土山のような雰囲気である。廃道化している。

羊歯が多い。
左前方に火事に注意の看板があった。

赤円にオレンジのテープがあった。
 
  低山なのに植生の変化がある。

途中から目印はなくなったが高みを目指せばいい。
地図上の高圧線の下辺りが開けていた。

反対側からのルートもあるように見えた。

ここで初めての小休止。

新幹線の奥に観音正寺が見えた。結構高い位置にあったのだ。先回は、あそこから降りてきたのだ。
 
  地形図でも分かるが、ここからが急登である。途中痩せ尾根がいくつかあった。

横枝が出ていて顔に当たったりで目や耳をつかないように気をつけた。
左の尾根に上がった。この辺りで小休止。

すると、乾いた熊の糞があった。
 
  尾根に上がると立派な登山道があった。

尾根に上がった所で同年代の男性が南からみえ、どこから登ってきたかたずねられたので説明した。
ハイキング道を南へ行くと、三等三角点、点名「老蘇」があった。  
  ここから鈴鹿の雨乞岳、綿向山、日本コバなどが望めた。
ここでおにぎりを1個頬張った。

小脇山と言うらしい。
 
  さて、北へ向かう。尾根に上がった所を過ぎてさらに北に行くと左写真の分岐があったが、案内板に従って左へ行く。
箕作山に着いた。ここには三角点はない。  
  ここは西への眺めが少しあったが、周囲の木々が生長していて…。
さらに北に行くと、途中で男性に出会った。

右写真の分岐では左へ行く。

案内板には箕作城跡と書かれていた。

私は最初間違えて右へ行ってしまい途中で気がついてここまでもどった。
 
  この案内板によると、これから向かう山は北箕作山と言うらしい。

先ほどの箕作山が南箕作山と言うらしい。
ここの分岐には案内板はないが先人の目印に従って左へ行く。

なお、ピンクの目印とロープ場が多数あった。
 
  すると鉄塔に出た。
この鉄塔から北にある北箕作山が望めた。ずいぶん急登にみえる。山頂の鉄塔が見える。  
  地図上の実線の林道に降りた。

ベンチには多数の栗があった。小休止。

帰りは水色でここまでもどって西へ行く。

なお、この林道はすぐ先で車は進入禁止のチェーンがあった。
こちらも道ははっきりしているが急登が多く、ロープ場がいくつかあった。

熊の糞があった。

最後の急登が一番きつかった。 

山頂でおにぎりを1個頬張った。
 
  山頂の鉄塔で休憩していると、青年が登ってみえたので写真を撮っていただいた。

なおこの方はここは初めてだが、繖山よりえらかったと言ってみえた。瓦屋禅寺から登ってみえて、東へ下って行かれた。 
そばに箕作城の説明板があった。

点名「山本」が箕作城跡、北箕作山と言うことになるのかな?

でも右写真だとここが箕作山と書かれているが、はて? 

山頂から西へ降りる道もあったが、同じ道を下ることにする。
 
  舗装された林道を西へ歩いてくると、赤円に黄色のペンキで「←」があり、降りるように書かれていた。ここが地図上の破線の道らしい。

下をのぞくと先人の目印が見えたので行ってみることにする。
写真は振り返って写した所です。羊歯の道を歩きました。羊歯の下には倒木や石があったりで歩きにくかった。

登りと同じで廃道化していて先人の目印を頼りに歩くが、不明瞭な所が数ヶ所あった。 
 
  巨岩に赤ペンキで「石寺」と描かれていた。

この辺りで両足が数回つってしまった。
右写真の様になだらかな下りなのですが、道がはっきりしません。とりあえず沢沿いを歩きました。   
  背丈を超す笹藪の道(はっきりしています)を通り抜けると舗装された山裾の道に出た。

かんぬきを開けて出ました。 
山裾を南西へ歩いて車にもどったときは日没寸前でした。

今日は懐中電灯を持ってこなかったので危ない危ない。 
 
帰宅すると19時ですぐ風呂に入った。19:30〜の仕事になんとか間に合った。