点名「上堂」503.7m (松尾寺山)

2014年の記録

7月15日(火)晴れ
今日は、米原JCの南西にある点名「上堂」(松尾寺山))に登った。
25000分の1「彦根東部」。でも最近は国土地理院のHPから地図を印刷している。林道や送電線が記載されていることがあるからだ。

米原インターで下りて西坂集落を目ざす。

米原工業団地から一旦山道の様な所を通ると集落に出る。

道なりに左折すると鐘撞き堂に出てその前を通り林道入り口に駐車。

帰りはこの林道に出るつもりであったが、この工業団地に出て周回してもどった。
先客が一台駐まっていたが以後一度もだれにも会わなかった。帰ってきたときも駐まっていた。

さて、赤円に松尾寺まで2.7kmとある。ハイキングの道のようだ。
すぐ先で最初の鉄塔があり左から登る。鉄塔には寄りません。

掘り割れ状の道を上がって来るのだが、道標はあるが、一部落ち葉に埋もれていたり、トラバース道が不明瞭な所もあった。
途中右手に「えみの地蔵」があった。この辺りはカルスト地形であった。

自分の現況に感謝した。

ここから麓の眺めが良かった。

休憩しているとヒルが右足首に付いていたので払い落としヒルノックをスプレーしたが、以後出会わなかった。蛇には2回出会ったが。
「一本杉」に出る。ここは峠のようである。

左折する。ここからは起伏の少ない尾根歩きである。途中右手に2つ目の鉄塔があった。
平坦な所に壊れた青色のベンチがあり、右へ行くと「松尾寺」まで0.5kmと書かれていた。

まず三角点へ行く。
30mほど先に三等三角点、点名「上堂」があった。

そばにあった「火の用心」の看板に「松尾寺山」とマジックで書かれていた。
明るい所で大休止。

実は帰りに再びここに寄りました。

時間があるので松尾寺に寄ることにする。
先ほどの青いベンチの所から東へ下ってくるとすぐ鉄塔があった。

鉄塔の左を通り左折する。

するといつもの紫テープがそばの木にあった。その先から木製階段が現れた。
松尾寺に向かう途中に「影向(ようごう)石」と書かれた看板があったので行ってみた。
細いトラバース道を80mほど歩いて来ると行き止まりになりここに背丈の倍以上もある巨岩、おそらく石灰岩だと思う、があり、これが影向石であった。すぐにもどる。
下ってくると右下に社の屋根が見え、狭い巨岩の間を通って松尾寺跡に着く。

しかし本殿は壊れたようでその隣に鎌倉時代文永7年(1270年)に建てられた九重の塔があった。

車でこの下まで来られるのか駐車場への看板があった。
松尾寺跡から石段を下りて北へトラバース気味の道を歩いてくると「一本橋」があった。
一本橋からすぐの所から参道を離れやや登り気味にトラバース道を行く。

帰宅してから思ったのだが、このまま下り気味に参道を行けば良かったのかも…。六地蔵があるようであった。

道と言っても倒木や落ち葉が多く次第に不明瞭になってくる。
「鐘いり場」と書かれた案内板があった。

この辺りからますます不明瞭になってくる。

等高線に平行にトラバースしていくと鉄塔巡視路の硬質ゴム階段に出会った。でもすぐに分かれてトラバースを続けた。
ところが斜面がきつくなってきてトラバースできなくなったので尾根を上がってみると「夫婦杉」があった。

なんとここから三角点は目と鼻の先で再度三角点まで行ってみた。三角点の辺りを鹿が一頭東から西へ走っていった。

助六を食べて大休止。
地図を見て北へ下ることにする。私は北東から夫婦杉に上がってきたようだ。

左写真のような岩場もあった。先人の目印がときどき現れた。

左写真の左の方にトラバースする道があるようであった。
さて次のピークの手前にある谷を下りていくと駐車地点に出られるようであるがあまりも急斜面で道らしきはないので谷より一つ北の尾根を下ることにする。
上写真のトラバース道はそのまま尾根歩きの破線の道のようであるが私はすぐに左折して西尾根を下る。

左写真のような痩せ尾根もあったが気持ちのいい尾根であった。
駐車地点に出たかったので途中で尾根から左へ急斜面を下り、右写真の所で右へ行くとはっきりした林業作業道になった。ここの真上に送電線がある。

西坂集落の辺りまで下りてきた。
小川があったので小川の西の駐車地点まで渡ることができず右岸を北へ歩いて来るとフェンスに突き当たった。

しかたなく乗り越えたがここは工場の駐車場のようである。

あとは駐車地点まで歩いてもどった。

後半がおもしろかった。今日は夕方から用事があるのですぐ帰宅して風呂に入った。