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2007年の記録 | |
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1月3日(水)晴れ | |
今日は、今年初の山歩き。妻が「私も登りたい。」と言うので里山の縦走に決めた。関市の高沢山(352m)、大仏山(434.6m)、本城山(423m)である。 美濃清水で有名な高沢観音裏の高沢山から大仏山、ついでに本城山へ。ついでのつもりの本城山へがおもしろかった。 カーナビを「高沢観音」にセットした。美濃インターで下りて、まず道の駅「平成」方面へ。 高沢観音へは、八坂神社で左折するのだが、通り過ぎてすぐ左手にあるコンビニで食料を調達。Uターンして八坂神社で右折して舗装された狭い道を高沢観音へ。途中、産業廃棄物処理場があった。 |
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高沢観音の山門を過ぎると大きな無料駐車場に着く。 身支度して出発。9:55 多宝塔を目指して歩いてくると、多宝塔の30mほど手前に説明板がある。説明板の左に山道がある。 高沢山を目指し急登の遊歩道を登り始める。 |
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すぐに東屋に着くが見晴らしはない。 この後あまり歩かれていないような山道を進んで行く。ピンクのビニルひもが多数ある。陽射しが柔らかいので気持ちがいい。 短い急登を登ると大木が根こそぎ倒れているところに出る。 |
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ここが高沢山の山頂らしい。この倒木の3mほど東の木の幹に川瀬さんのプレートが取り付けてあった。10:33 ここを左折して下る。 やせ尾根歩きで北東と南西の眺めがいい。 |
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岩場の左から抜けると急な下りになり、高沢山を通らずに高沢観音から大仏山へ至る山道に合流する。(黄緑) 帰りはこの山道を歩いた。高沢観音のどこに出るのか楽しみだった。 答え:観音堂舞台の横隣建物の裏に出た。 |
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この山道は、幅広の平坦な道で落ち葉が多く、歩きやすい。ハイキングにぴったりだ。 いくつかのお地蔵様に出会ったのでその都度、家族の健康を祈った。 途中、西に眺めのいい切り開きがありそこには腰掛用の木の幹もあり小休止する。 |
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大仏山への分岐に来る。反射板や大仏山への案内もある。11:16 短いが急登である。帰りは落ち葉でずるずる滑った。 |
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山頂には二つの反射板があった。ただし、二重の金網フェンスがあり、中へは入れなかった。11:24 | |
フェンス越しに中を伺うと、三角点の標柱を見つけた。南東から写したところです。 上の写真の所に戻り、左折して下ると、本城山への分岐の表示があった。 |
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さらに下ると右写真の岩の祠があり、「白山大権現、立山大権現、富士山大権現」と彫られた石碑があったので手を合わせて妻の体の回復を祈った。11:27 この近くで昼食。 野菜スープを沸かし、おにぎりを食べた。 |
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この後、予定にはなかったが、本城山へ行ってみることにする。12:05頃 こちらは踏み跡は薄いが、黄色のタフロープと不用となったCDやDVDによる案内表示がたくさんあった。 左写真の分岐に来た。12:24 左折すると楽々コース、直進すると直登コースとある。直登コースを選んだ。 |
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途中に井戸跡、石垣跡があり見に寄った。 急登を上がってくると大岩がある。ここが本城山の山頂であった。12:42 「平和と憲法9条を愛する」プレートがあった。 木の幹にかわいい円空像が彫られていた。 |
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この山頂岩の南側に本城山の由来が書かれたプレートが貼り付けてあった。山城跡らしい。 この岩場に乗ると南東から南西への150°の大展望である。本城山へは予想外のいい山歩きであった。 12:49下山開始 元来た道を下る。楽々コースとの合流点は分からなかった。 途中藤谷からのコースやイワカガミ群生地などもあった。 |
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高沢山には寄らず、日龍峯寺を目指して下ってくると観音堂舞台の横隣の建物裏に出た。14:01 みたらしの霊水は病気が治るということが書かれていたので、いただいた。また、堂の舞台では甘酒が振る舞われていたのでここでもありがたくいただいた。ここから下界の眺めがいい。 休んでいると、そばにいたお年寄りの方が、「自分が小野小学校の小学生だった頃、藤谷コースから登り、ここへよくきたものだ。」と懐かしげに話しかけてきた。 右写真はこちらから登るとして写したところです。この写真の左に千本桧と舞台があります。 妻は、「新年にふさわしい山歩きだったね。」と満足げに言った。 |
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今日は武芸川温泉に寄ったが、大勢の人でごったがえしていた。 無料の血圧計があったので計ってみると、正常値に近づいていた。(^_^) |
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