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2003年の記録 | |
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12月25日(木)晴 | |
今日は、1ヵ月ぶりの山行である。 妻のお母さんが10月末入院され、休日はお見舞い。しかし、12月18日に他界された。享年76才であった。 10月までは元気な方であったのに、体内では癌が進行していたのだ。 人の命はなんとはかないものか。生あるうちに満足のいく人生を過ごそうと思う。 さて、いよいよ山歩記の再開。 足慣らしに、前々から気になっていた八百津の見行山(905m)に登った。 山遊ライトトレッキングクラブさん、UJTの部屋さんのHPを参考にした。 |
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福地より見行山をのぞむ | |
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国道418号を東へ。 八百津では、県道83号を北東へ。 県道402号と合わさり、東へ。 福地の集落を抜けた辺りの右(南)側に「福地建築」の工務店がある。そこを過ぎて、しばらくして左折する。この道が林道「大那木線」で、福地峠を経て県道68号(恵那白川線)の赤河に抜ける道である。 |
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@ | |
しばらくして分岐に出る。左折すると田甫、右折すると福地である。 福地峠には立派な民家が二軒あった。おじいさんが畑仕事をしてみえた。 |
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A | |
直進(緑)すると県道68号へ抜ける。 ここの看板の右手に車一台停めることができそうなスペースがあったので置かせていただく。 12月19日は大雪が降ったが、以後、晴天が続き今日は気温も高め。しかし、トレーニングも兼ね雨具、スノーシューも持って行くことにする。 10時55分発 |
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B | |
歩き始めるとすぐ未舗装になる。平坦な道だが凍っていてつるつるすべる。 しばらくして右手にダイハツのコンソルテが廃車として放置してあり、さらに奥にトラックが放置してあった。その広場にタイヤが多数積まれている。林道は右へカーブして続いているが、このタイヤの右手から這い上がると山道になる。まるで土砂崩れで崩壊したようだ。 歩き始めて5分でこのタイヤの所まで来る。ここまで車で来ようと思えば来られる。 |
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C | |
先ほどのタイヤの所を這い上がると左の堀割れ状の山道になる。 | |
D | |
1分ほどで左からの道と合流する。 帰りにこの緑色の道から下ることにする。 |
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E | |
15分ほど平らな登山道である。登山道といってもこの山は植林の山であり、仕事用の道である。 五差路にさしかかる。 鋭角的に右折し、尾根を登っていく。 |
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F | |
しばらくはなだらかであるが、右へも道があるような感じの所に出る。ここは、左をとりここから急登が始まる。上に行くほど急になる。 20分ほど登り、最初の肩に上がると岩が二つあり小休止とする。 |
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G | |
その後、再び急登になり次の肩に上がるとその先がピークで、そこからなだらかになり、祠がある。左下にも朽ちた祠がある。 祠の右から先に進む。倒木をまたぎ、いったん下り再び緩やかに登ると10分ほどで山頂である。 雪は皆無と言っていいほどであった。 |
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H | |
山頂には11時58分に着いた。 北東と北西方面が切り払われていて展望がいい。 御岳が白くその雄々しい姿を見せている。 昼食の準備をしていると里から正午を告げる音楽(「恋は水色」)が流れてきた。 携帯はつながった。 |
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I | |
今日は野菜サラダをメニューに付け加え、豚汁とおにぎりだ。 風もなくぽかぽか陽気だ。 辺りを見回すと小学生たちがマジックで決意を書いた石が多数あった。 気象庁の古い壊れた小屋があった。 南からの登山道もあるようだ。 |
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J | |
さて、12時31分に下山開始。 13時06分にタイヤの所に着いたので別の登山口をさがしに上の写真のE番めの緑色の道を行くと、植林地帯のなだらかな尾根の下りで、5分ほどしてアスファルトの林道に出た。 この登山口は福地峠から車で1分ほど県道68号方面に進んだ右へカーブする所だ。 登山口を示すものはない。 |
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K | |
福地峠への別のルートとして、白川から、河岐トンネルを抜け、県道68号の赤河から右折(南へ)して蘇原小学校のそばを通り、「福地」の標識を目指した方が分かりやすいかもしれない。 | |
L | |
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