守山地方 平地の3等三角点 谷口・今浜

2022年の記録

7月28日(木)晴れ
今日は、守山地方の三角点探しだ。5つも探したのに見つかったのは、点名「谷口」と「今浜」の二つだけであった。
見つからなかったのは、点名「吉川」・「石田」・「岡」の三つである。ただし、岡は標柱は見つかった。不完全燃焼で帰宅した。

追記:2023年3月12日、点名「吉川」を見つけました。下に追加記入

まず、最初に点名「吉川」を探したのだが、見つからなかったので琵琶湖大橋を西へ渡った所の南西にある春日山公園の点名「谷口」を見ることにした。広い駐車場に駐める。なお、ここにはトイレと飲料水の自販機があった。帰ってきてから利用した。

ハイキング道だと思ったのだが…。
三角点は地図の左上の方にある。

歩き出すと左にグランドがある。その先の右手に東屋があったのでそこの右から取り付く。

道はないが、なんと、先人のピンクのテープがあった。
 
  でもこの方は左上の方へ向かって行かれたようだ。とても急斜面に見える。私は右方向へ上がった。それでも急斜面であったが。
正面上部に鉄塔が見えてきた。右の方へ上がると、鉄塔巡視路に出た。

左折する。
 
  すぐに鉄塔に出る。その北側を西へ歩く。
なだらかな鉄塔巡視路を西に歩いて来ると赤円にオレンジテープがあったのでこの辺りから左へ行くと三角点がある。
平坦地の薄い藪の中に標柱と3等三角点が見えた。
蜘蛛の巣が一杯あった。
点名「谷口」である。3等三角点 168.5m

帰りは行きの急斜面を下るのはいやだったので尾根を行くことにして東へ戻る。
  分岐が有り、鉄塔巡視路は左へ、私は右へ来ると、時々先人のテープがあった。

道は明瞭になったり、不明瞭になったり。
一旦狭いが平坦地に出る。ここからは右へ下りることにしたが、直進でも良かったかも。

右下に行きに歩いたグランド沿いの道が見えてきた。

少しして、道路に下りることにした。
 
  赤↑はグランドの北を歩いて東屋に至る道。

帰りは水色で道路に下りた。

最後の所ですべってズボンがドロドロになった。

すぐ駐車場である。トイレ内で、タオルでズボンを拭き、タオルを洗った。行きも帰りも、そして山もお勧めできない。

川を渡って県道今浜水俣線を南へ来ると、三角点への道とは合流できなかったし、駐車スペースもなかったので来た道を戻り、時計回りに大回りして、右写真の所に着く。  
  作業小屋の手前に保護石が見えた。
3等三角点、点名「今浜」である。  

  以後の記録は、本日見つからなかった三角点です。
追記:点名「吉川」は、2023年3月12日に再訪して見つけました。

マイアミ浜オートキャンプ場の駐車場は有料だったので向かいの農道に空きスペースがありここは、隣が太陽光発電の施設だが、そこに駐めさせていただいて、道路を横断する。 
キャンプ場のトイレを右に見て左前方に進む。柵があるが、横を通らせていただく。

ここ以外の取り付きも周囲をぐるっと回って探したのだが、結局ここが一番ましな感じがしたからである。 
 
  作業道の終点には牛糞かな?いくつかためてあった。行き止まりであった。草藪であるが、突入する。潅木が多い。蜘蛛の巣が多いが、30mほど進むと急に明るくなり、背の低い草藪になる。歩きやすい。 
すると前方には東屋が見えてきた。

さらに低い草地になる。

この東屋は今は使われていないようだ。でもどこから来るんだろう。周囲を見渡しても背丈の高い草藪に囲まれていた。 
 
  東屋の北西角に記念碑があった。

「史跡八ッ崎」かな?と書かれていた。 
この草地を三角点を探していると、東屋の北に大型の魚の骨があった。ビックリした。   
  左写真の頭が赤い杭はいくつか見られたが、点名「吉川」、3等三角点は分からなかった。 
石の塊があっただけであった。 

このあと、琵琶湖大橋を渡って春日山公園に行った。
 

  追記:2023年3月12日、琵琶湖西岸に行くついでに点名「吉川」を見に寄った。昨年の草薮は全くなく、すぐに到達できた。

左写真の石の隣に木の棒がさしてあった。 
近寄ってみると、三角点の文字がみえた。

上の写真の石の塊が三角点だったのだ。

頭が欠けて痛々しそうであった。こんな状態の三角点は初めてだった。 
 

「今浜」の次に寄ったのは十二里町の公園内の隅にある点名「石田」である。  
  ここは先日にも寄ったのだが、今日は鍬を持って来た。

グレーチングの中や辺りを掘ってみたが、見つからなかった。 

本日最後は点名「岡」である。

草津市立志津小学校の南にあるグランドの北東にあるはずだ。

最初、グランドの中から外をのぞいていると、標柱が見えたのでグランドの外へ出て、写真を撮った。

鍬で辺りを掘ってみたが、見つからなかった。

本日はここまでとして帰宅した。